二本松城
別名、霞ヶ城・白旗城とも呼ばれる
二本松城箕輪門
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室町時代中期の嘉吉年間(1441〜)に奥州探題となった畠山氏は、二本松姓を名乗り140年間この地を支配した。
しかし、11代二本松城主・畠山義継は、天正13(1585)年秋、伊達政宗が眼前の阿武隈川の対岸を占領したことにより対立したが、いわゆる「粟の須の戦」で天正14(1586)年に伊達政宗により滅ぼされてしまう。
伊達政宗は二本松城に重臣・片倉景綱などを置き居城である米沢の周辺を固めるものの、秀吉による奥州仕置きにより岩出山城(宮城・岩出山)へ転封となりこの地を去る。
その後は蒲生、上杉、加藤氏と代り、寛永20(1643)年に、丹羽長重の長男・光重が白河から10万石で入封し、以後丹羽氏はこの地に定着することになった。
幕末時の藩主・丹羽長国は、白石城で調印された奥羽越列藩同盟に参加し、新政府軍と激しい戦いをするが、武力に劣る同盟軍は敗れて二本松城は落城する。この時に、二本松少年隊など悲劇も生まれた。
この戊辰戦争でほとんどの建物は焼失し、廃城後は残った建物や石垣なども破棄されてしまった。
現在は、「霞ケ城公園」として整備が進み昭和57年に箕輪門が復元され、平成5年からは本丸の石垣が復元されている。国指定史跡
二本松城は今年の9月に訪れたのですが、なんと、10月下旬に今度はカミさんと再び来てしまいました。9月はJR二本松駅から山頂の本丸まで山道を歩いてグッタリしてしまったのですが、10月下旬は車で来たので何の苦労もなく天守台跡にたどり着きました。「あの9月は何だったんだろう」と眠れない日が続いています。
現在(平成26年10月11日(土)〜11月24日(月・祝)まで、二本松菊人形祭りが開催されております。必見のイベントです。 |
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