城下町てくてく歩き(久保田城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(秋田県秋田市)
 


御隅櫓(おすみやぐら)
高さ21.85m、間口19.70m、奥行き7.88m

常陸国54万石・佐竹義宣(さたけよしのぶ)は、慶長7(1602)年に徳川家康によって秋田への国替えを命ぜられ、初代の秋田藩主となった。
佐竹氏は、慶長8(1603)年5月から築城を開始し、翌年の8月に久保田城が完成。その後も城普請は続けられ、完成したのは寛永8(1631)年頃ともいわれている。旧領主秋田氏の居城であった湊城は破棄された。

 この城の特徴は、堀と土塁を巡らした城で石垣がほとんどないことと、当初から天守閣を造らなかったことがあげられる。その理由は、幕府への遠慮とも言われるが、佐竹氏の旧領常陸を含む東国ではもともと石垣を用いない築城法が一般的であったためと言われているが定かではない。
現在、久保田城跡は千秋公園として整備されていて、桜の名所としても親しまれている。

10数年前に桜見物に来たことがあるが、その年は寒くて桜の開花が遅れて
寒々としていたことを思い出した。







久保田城址千秋公園



濠跡



佐竹資料館



御物頭御番所
久保田城内の二ノ門の開閉管理と城下の警備などを
担当していた物頭(足軽の組頭)の詰所。

 



久保田城・表門
久保田城は、20万余石の居城であり、複数の廓を備えた平山城


 
12代藩主・佐竹義堯(よしたか)公銅像


御隅櫓
城内の建造物は明治13(1880)年の大火でほぼ全焼してしまったが、秋田市市制百周年(昭和46年)事業として御隅櫓が復原された。




御隅櫓からの鳥海山


久保田城の縄張り






千秋公園

 .           城を訪ねて三千里                           (160406) .

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