城下町てくてく歩き(仙台城) .
城を訪ねて、てくてく旅

(宮城県・仙台市)
 


仙台城は標高約130mの青葉山と東南を断崖が 固める天然の要害の上に築かれていた



伊達政宗像
伊達政宗(1567〜1637年)は、関ヶ原の戦いの恩賞により徳川家康から62万石に加増され、岩出山城から仙台城へ移封となった。

仙台城は、初代仙台藩主となった政宗が1601(慶長5)年から青葉山で築城を開始し本丸と西の丸をこの地に置いた。
なお、築城にあたって政宗は、家康の警戒を避けるために、 あえて天守閣は設けなかったといわれている。

そして、政宗から数えて廃藩置県までの約270年に渡り仙台城は伊達家代々の居城であった。

城は戊辰戦争時には戦火を免れたものの、太平洋戦争時の仙台空襲により城の大半を焼失してしまった。




仙台城・大手門脇櫓

伊達政宗像

本丸跡に立つ伊達政宗像


築城期(17世紀)の石垣(野面積み)

本丸北壁の石垣の構築方法


仙台城石垣(パノラマ合成)
江戸時代に築かれた石垣
岩を「江戸切り」という方法で加工し、石垣の稜線を際立たせている



瑞鳳殿
瑞鳳殿は、仙台藩祖伊達政宗公の御廟。また、二代忠宗公の感仙殿、三代綱宗公の善応殿がある。
なお、これらの御廟は戦災により焼失してしまい。昭和54(1979)年に、瑞鳳殿の本殿・拝殿・涅槃門・御供所が再建され、昭和60(1985)年には、感仙殿および善応殿も再建された。

涅槃門


瑞鳳殿本殿
70歳で生涯を閉じた伊達政宗は、生前、自らが死んだあとは仙台経ヶ峰に葬ることを遺言した。

後を継いだ二代藩主・伊達忠宗は、政宗の遺言に従い、寛永14(1637)年政宗の霊廟を建立し「瑞鳳殿」と命名した。
昭和6(1931)年に国宝に指定。しかし、昭和20年7月10日の仙台空襲で焼失してしまった。現在の建物は、昭和54(1979)年に再建されたもの。

桃山様式の豪華絢爛な廟建築



二代忠宗公の感仙殿と三代綱宗公の善応殿

二代忠宗公の感仙殿(手前)、三代綱宗公の善応殿(奥)

二代忠宗公の感仙殿

三代綱宗公の善応殿

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                                                   (140409&140908) .

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