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天正遣欧使節団の来訪を伝える新聞(1586年)
(京都大学図書館蔵) |
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ジェロニモス修道院は1502年、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見を記念して、マヌエル1世の命により建築家ボワタクによって建てられたものです。
その建設資金は、バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の莫大な益と香辛料貿易による利益によって賄われました。
しかし、マヌエル1世の死などがあって、完成には300年ほどかかっています。
1543年にポルトガルから火縄銃が入り、日本との交流が始まったわけだが、 1582年(天正10年)ヴァリニャーノ神父に連れられ、ローマ教皇に謁見(えっけん)するために渡欧した天正遣欧使節団(1582年)の少年達(伊東マンショ,千々石ミゲル,中浦ジュリアン,原マルティノ)も、このジェロニモス修道院を訪れたという記録が残っています。
(彼らは8年後に帰国したが、信長が本能寺の変で亡くなり、政権を握った豊臣秀吉は、キリスト教の信仰や布教を禁止していた。トホホですね) |
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