ポルトガル ぶらり旅(ジェロニモス修道院)    .
 
Lisboa ジェロニモス修道院
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  ジェロニモス修道院
ジェロニモス修道院は、ポルトガルの首都・リスボンのベレン地区にある修道院であり、世界遺産となっている
天正遣欧少年使節
天正遣欧使節団の来訪を伝える新聞(1586年)
(京都大学図書館蔵)

ジェロニモス修道院は1502年、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見を記念して、マヌエル1世の命により建築家ボワタクによって建てられたものです。
その建設資金は、バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の莫大な益と香辛料貿易による利益によって賄われました。

しかし、マヌエル1世の死などがあって、完成には300年ほどかかっています。

1543年にポルトガルから火縄銃が入り、日本との交流が始まったわけだが、 1582年(天正10年)ヴァリニャーノ神父に連れられ、ローマ教皇に謁見(えっけん)するために渡欧した天正遣欧使節団(1582年)の少年達(伊東マンショ,千々石ミゲル,中浦ジュリアン,原マルティノ)も、このジェロニモス修道院を訪れたという記録が残っています。

(彼らは8年後に帰国したが、信長が本能寺の変で亡くなり、政権を握った豊臣秀吉は、キリスト教の信仰や布教を禁止していた。トホホですね)




教会正面扉を入ってすぐの両側に、美しい彫刻で飾られた石棺が安置されています。
北側にヴァスコ・ダ・ガマ、南側に詩人カモンイスが眠っています。

ヴァスコ・ダ・ガマの棺
1524年にインド総督として赴任するためにインドへの3度目の航海に出たガマは、ゴアに着いてすぐにマラリアにかかり、その年の12月24日に死亡した。そのようなわけで、この棺の中に彼の遺体はありません。

ルイス・ヴァス・デ・カモンイスの棺
ポルトガル史上最大の詩人

修道院内部
マヌエル様式(海草や船のロープなど海にまつわるものを装飾に多用する様式)による修道院

マヌエル様式の模様が見事な修道院天井

ステンドグラス

ジェロニモス修道院 回廊

ジェロニモス修道院の中庭

ジェロニモス修道院 回廊

回廊の装飾はマヌエル様式


石灰岩で造られた
マヌエル様式の装飾が繊細で美しい

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