ぢい山歩/ 四川省(都江堰


楽山大仏 (とこうえん:Dujiangyan )  

都江堰は、中国・四川省の省都・成都の西方約60kmにある大河・岷江(みんこう)の中流部に位置し、秦の時代・約2300年前(BC221〜BC206)に築造されたもので、現在も機能する古代水利施設です。

都江堰の西にある青城山と共に2000年に世界遺産へ登録されました。

岷江は全長が700kmを超え、四川省の険しい山々を縫って流下し、長江(揚子江)に合流する大河川です。
その岷江の氾濫による水害を治めるとともに、成都の大平原に岷江の水を引いて灌漑、産業用航路の機能を確保し、この地域に豊かな恵みをもたらしたのが、都江堰です。

中国では「万里の長城」「南北大運河」「都江堰」を古代の三大土木工事と呼んでいますが、その中で完全な姿で残っているのは都江堰だけです。


都江堰(とこうえん)分水堤







都江堰が見渡せる秦堰楼(望江楼)



都江堰(とこうえん) 
画面に触ると説明文が現れる
都江堰は、世界の水利史上においても、自然を破壊することなく、自然を利用した潅漑事業の模範となっている施設です

都江堰の金剛堤
中央は流れを二分する役目の中州・金剛堤(1km)。人口導水路(内江)を作った時掘り出された土石による月型の人工小島。

魚嘴(ぎょし)分水堤
岷江の真ん中に位置し、魚の口のような形から「魚嘴」分水堤と名付けられた。洪水を抑制するために長江へ通じる外江と成都の川西平野へと導水する内江に二分している。
1974年に外江側に閘門が完成して水量調整が行えるようになった

金剛堤・内江に掛る安瀾橋



階段を下りて二王廟へ



二王廟
都江堰建設を指揮した李冰と、その死後に工事を完成させた李二郎の親子を祀った「二王廟」。
二王廟は2008年5月12日の四川大地震で倒壊したが再建。

二王廟
当初は「崇徳祠」と呼ばれていたが、紀元494年、都江堰の人々が李氷の恩徳に報いるために造ったもの。その後、李氷の子・二郎さんも同じ祠に奉り「二王廟」としました。



都江堰建設を指揮した李冰


二王廟
都江堰の生みの親・李氷の治水要領
"深掏灘、低作堰"が記されている


ケ小平の壁文字『造福万代』
都江堰の功労者李冰と李二郎の功績を讃えている

二王廟・門



安欄橋入口
金剛堤・内江に掛る安瀾牽橋

安欄橋


秦堰楼(望江楼)からの安欄橋



安欄橋
岷江の内江に架かる吊り橋で長さ240m、「魚嘴」のある中州・金剛堤と二王廟を結ぶ。
別名「夫妻橋」(夫婦一緒に手を繋いで渡るとまた来世も夫婦になれるとか)
同行者の夫婦連れの中には「ギクッ」とした人もいたようです。


渡りきった金剛堤は公園となっている

中州・金剛堤にある展望台

金剛堤にある魚嘴(ぎょし)分水堤


岷江 魚嘴  
(画面に触ると説明文が現れる)

外江(本流)の河幅は96m、内江(灌江・人工導水路)は130m となっており、川の地形を活用して水量を配分している。冬の水量が少ない時期は4割が外江へ、6割が内江へ流れ農業用水として確保している。春や夏の増水時には、水が「魚嘴(ぎょし)」の先端を乗り越えるため、6割が外江へ流れ、内江(灌江)が増水するのを防いでいる。
「分四六、平潦旱」と表現されているこの堤防の機能である。



金剛堤からの安欄橋

金剛堤から秦堰楼(望江楼)



水量調整のための土嚢
古代の土嚢。竹編を組んだ木柵に石を入れた蛇篭が付いている。

宝瓶口
都江堰は、宝瓶口、飛沙堰(=高さ2mの堰)、魚嘴(ぎょし)からなっています。
下流側にある宝瓶口は、山の岩石を掘って作った狭い人工導水路で川西平原へ水を供給しています。
また、飛沙堰は、春や台風などの増水時に、余分な水を外江へ戻す重要な機能を持っています

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