ぢい山歩・ばあ散歩(京都・金福寺)  .

金 福 寺
所在地:京都市左京27
アクセス:JR京都駅市バス 一乗寺下り松町下車徒歩約5分
 叡山電車 一乗寺下車 徒歩約20~30分
拝観時間 9:00~17:00  拝観料400円

金福寺は、平安時代の初期・貞観6(864)年に円仁(慈覚大師)の遺志を継いだ安恵(あんね)僧都が創建した。慈覚大師自作の聖観音像を本尊として 天台宗の寺院として創建されている。その後、江戸中期に鉄舟和尚が再興し、現在は臨済宗南禅寺派。

井伊直弼の生涯を描いた舟橋聖一の歴史小説「花の生涯」に登場する村山 たか女が寄進した弁天堂がある。
たか女は文久2年、勤皇の志士によって三条河原でさらし者にされたが、3日後尼僧に助けられて、金福寺に入り尼として明治9年までの14年間を過ごし、この寺で生涯を終えた。



金福寺の門



“村山たか女”が寄進したという弁天堂

彦根の三味線師匠であった「たか女」は和歌を詠み、漢籍にも通じた才女であった。彼女は、大老・井伊直弼の懐刀といわれた長野主膳と'いい'関係にあった。
幕末の時期に、たか女は、長野主膳の意をうけて京都などで開国に反対する尊皇攘夷派の情報を収集する活動していたが、尊皇攘夷急進派の天誅組に捕えられてしまった。



芭蕉庵の扁額が架けられた庭園への入口



庭園はサツキの築山と白砂の簡素な枯山水



たか女は金福寺で尼となり妙寿尼の名で直弼の菩提を弔い明治9(1876)までの14年間を過ごしている。なお、たか女の仮墓は金福寺内にあるが、本墓は約400mほど離れた圓光寺にある



芭蕉庵
松尾芭蕉が鉄舟和尚と親交を深めたという芭蕉庵。与謝野蕪村が再興した

この寺で詠まれた俳句

憂き我をさびしがらせよ閑古鳥(芭蕉)
耳目肺腸ここに玉巻く芭蕉庵(蕪村)
我も死して碑に辺せむ枯尾花(蕪村)
徂く春や京を人目の墓どころ(虚子)


境内に68歳で京都で没した蕪村の墓地がある。
蕪村の弟子であった江村月居、吉分大魯や画家の呉景文、森川曽文などの文人が眠っている

枯山水の庭。江戸時代中期の作

裏山の芭蕉庵からは洛中が一望できる

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