ぢい散歩(千寿七福神巡り・その2) .
千寿七福神めぐり
せんじゅ しちふくじん めぐり

ウォーキング・コース
北千住駅13:00⇒(5分)⇒@千住本氷川神社(大黒天)⇒(12分)⇒A大川町氷川神社(布袋尊)⇒(6分)⇒B元宿神社(寿老人)⇒(18分)⇒C千住神社(恵比寿天)⇒(5分)⇒D八幡神社(毘沙門天)⇒(5分)⇒E河原町稲荷神社(毘沙門天)⇒(8分)⇒F氷川神社(弁財天)⇒(10分)⇒15:30北千住駅  北千住「アカマル屋」





千寿七福神巡り(その2)
D八幡神社(毘沙門天)⇒E河原町稲荷神社(毘沙門天)⇒F氷川神社(弁財天) まで


5.八幡神社(毘沙門天)

毘沙門天は、もとはインドでからやってきた神様。財富の神クベーラの別名であったが、仏教に採り入れられて四天王の一つとなり、多聞天ともいう。
七福神では、融通招福の神として信仰されている。

永承5(1050)年に、千住に滞陣した八幡太郎源義家が、千住神社に本陣を置いたという。

その際この地に白幡を立てたとされ、神前に奉納された扇を祀ったのが八幡神社の始まりとされています。


毘沙門天 
七福神の中で、唯一武将の姿をしていて、右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけている

6.河原町稲荷神社(福禄寿)

福禄寿の由来は中国の道教です。福禄寿は、幸の福、身分や財宝をあらわす、長寿を表わす寿の三文字からなっています。
開運の神様と崇められています。

この神様は食物・商売繁盛・出世の神さまでやっちゃ場(千住市場)の守護神でありました。
戦災で焼失し、現在の社殿は昭和41年に建造されたもの。

明治39(1906)年建設の「千住青物市場創立三百三十年祭記念碑」が立っています。

 

7.氷川神社(弁財天)

弁財天は、もとはインドのサラスバティー川の河神であり,七福神中の紅一点、唯一の女神です。日本に伝わった当初は、弁天と呼ばれていました。
弁財天は、弁天様として親しまれ、音楽・弁舌・福徳・知恵・財宝をつかさどる女神として信仰を集めています。
元和2(1616)年に現在地に遷座し、千住掃部(かもん)宿の氏神となり、境内社に関谷天満宮、千寿七福神の弁財天があります。


茅の輪くぐり
半年間に身についた罪、穢れを祓い無病息災を祈る行事ですが、この歳になると何度やっても御利益がなさそうです。
数字の∞の字型に左、右、左とくぐり社殿へ進み参拝します。

拝殿
 
弁財天

弁財天
供養庚申塔として元禄2(1689)年に造塔されたもので右手に剣を握り左手に宝珠を持っています。
弁財天を主尊とした庚申塔としては現在のところ東京では一基と云われています。



15:00からやっているアカマル屋で反省新年会

店の前は有名な大はし

  千寿七福神(その1)  


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[2019.1.7] .
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