戦時中の昭和16年10月30日から終戦後の昭和21年9月30日までの5年間にわたって、時局にふさわしくない廓噺など53作の台本が浅草本法寺の「はなし塚」に納められ、その口演を自粛したそうです。
本山派・正山上人によって1530年に開かれた天台の寺院。創建後まもなく正宝院の住職が本尊である不動明王像を背負って、紀伊山地の中央を南北にのびる大峰山に出向いた。しかし、不動明王像が一夜にして奈良から当地に飛び帰り人々にご利益を授けたという由来により、「空を飛び来て、衆生を守りたもうお不動様」ということで飛不動と呼ばれている。