ぢい散歩(津和野②)   .
津和野



津和野町にある看板から

本町通り


財間家住宅
財間家住宅主屋は明治31(1898)年頃に建てられたもの

三松堂(和菓子屋)
津和野名物菓子の源氏巻を売っています


分銅屋七右衛門
津和野藩の御用商人であった分銅屋は、鬢(びん)付け油や和ろうそくを製造販売していた。現在の建物は江戸時代末期に建てられたもの(昭和初期に改修されている)。
 

分銅屋七右衛門
津和野の町並みを構成する町屋建築の遺構として、国登録有形文化財に登録されている。



古橋酒造
明治初期の創業。「初陣」の造り酒屋

橋本酒造
享保2(1717)年創業の老舗で、吟醸原酒「魁龍」を製造販売しています。
 
華泉酒造
創業は江戸中期の享保15年(1730)年
 
津和野には、青野山の湧き水「天泉」と地元の酒米「佐香錦」、そして山陰の山間部特有の冬の寒さがあり、これらがおいしい日本酒を作り上げています。




日本遺産
津和野百景図
 津和野百景図を画いたのは、栗本格斎(かくさい)。本名は、栗本里治(さとはる)です。弘化2(1845)年生まれ。
 格斎は、石見津和野藩の第11代(最後)の藩主亀井茲監(これみ)に仕えていて、藩内をめぐり名所や風俗、食文化などをスケッチして約4年の歳月をかけて百枚の絵を描きあげた。
この百景図には江戸時代の終わりの藩内の様子が描かれているが、当時の場所を現在と比べると大変趣があります。
 ◆ 津和野今昔「百景図」


津和野町日本遺産センター
地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として文化庁が認定したもの。
津和野町日本遺産センターは、「津和野今昔~百景図を歩く~」を日本遺産として認定しています。


展示内容は、百景図(複製)を解説付で紹介している。太鼓谷稲成神社など現在の姿と比較するのも面白いですね。

百景図

石垣のみが残る三本松城(津和野城)


百景図第21図「太鼓谷稲成神社」

太鼓谷稲成神社
朱色で鮮やかに浮かび上がっている太皷谷稲成神社は、日本五大稲荷のひとつに数えられている

第23図「殿町・藩校養老館」
殿町は上級武士が住む所で、道路の幅が十二間(約21.6m)もある。西側には多胡(たご)、大岡、牧家の三家老の屋敷、東側には藩校養老館の文武稽古場があった。
絵には現在ある掘割が描かれておらず、養老館の建物や塀の石垣の下が道路面となっている。掘割は明治期の国道整備でできたもの。

藩校 




太鼓谷稲成神社
津和野城の城山の登り口にあり、江戸期には時(とき)を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であったことから太鼓谷と呼ばれている。
稲荷を「稲成」と表記するのは、願い事が叶うようにとの思いからとされている。日本五大稲荷のひとつで 全国で唯一「いなり」を「稲成」と表記する神社。






奉納された朱色の鳥居が続く


太鼓谷稲成神社・本殿


森鴎外旧宅跡
明治の文豪・森鴎外が幼少期の11年間を過ごした旧宅。この旧宅は、昭和29(1954)年に鴎外の33回忌の際に津和野町が買い上げて現在の場所に移築・復元した。国指定史跡。






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