ぢい散歩(津和野・殿町)   .
津和野
 
約50年ぶりに訪れた津和野。寄る年波に勝てずというか、当時の記憶が薄れてきていますが、武家屋敷の並ぶ地区(殿町)あたりは昔も今も変わらずの状態にありました。
宿へ向かう途中で地元の方が話しかけてきたのですが、いろいろこの町の紹介をしてくれて、話の隅々からこの町を大切にしようとする町民の方々熱意が伝わってきました。住んでいる方々は「この町が好きなんだなぁ」と。(なんと!その方は東京から夫の実家がある津和野へ移り住んだ人でした)

津和野は、千姫事件で詰め腹を切らされた坂崎直盛(宇喜多詮家)が築いた城下町です。その後、亀井政矩(かめい まさのり)が元和3(1617)年に因幡鹿野藩から津和野藩 (4万3千石)に移封となり、明治の廃藩置県まで亀井家が治めたところです。現在も昔のたたずまいを見せており山陰の小京都といわれています。



(C)津和野町観光協会パンフレット

なまこ塀と掘割りに泳ぐ鯉など、津和野の代表的な風景です。



津和野観光地図
 (C)津和野町観光協会制作



津和野駅

駅前の蒸気機関車
津和野駅の前にD51が展示されている 
 
津和野は、男はつらいよ第13作「 寅次郎恋やつれ」(1974年8月3日公開)の舞台となったところ。カトリック教会、藩校・養老館などが撮影場所になっていました。
マドンナ役は第9作に続いて吉永小百合さん。
父親との情愛がなんともいえない映画になっていました。


殿 町
津和野の殿町あたりは最も古いたたずまいを残している場所で、カトリック教会、藩校であった養老館、津和野藩筆頭家老・多胡家表門など多くの史跡が集中しています。
 
ナマコ塀に面した通りの掘割には大きな鯉が群遊し、パンフレットの表紙などにみられる通り花菖蒲の白や紫の花が咲き誇ります。
この掘割は坂崎出羽守(~元和2年)が城下町をつくったときに用水路として掘らせたもので、鯉は非常時の食料用にと藩政時代から始まり、また、ボウフラ対策として放たれたといわれています。


多胡家家老門
多胡家は亀井氏 11代にわたって筆頭家老を務め、亀井家のお家騒動などを収め藩政に大きく貢献した家柄です。瓦葺きの武家屋敷門は、間口4mの立派なもの。


大岡家家老門
津和野藩で家老職を務めた大岡家の屋敷門。現在は表門のみとなっており、内部は町役場として利用されている

津和野町役場津和野庁舎として使われている
(建物は大正時代?)



藩校養老館

天明6(1786)年に八代藩主亀井矩賢が城下の下中島に開校したが、嘉永6(1853)年の大火で焼失し、安政2年(1855)年にこの地に移設された

養老館は、儒学を主として漢学、医学、礼学、数学、兵学などを学ぶ場所であった。




殿町掘割
掘割は板崎直盛(宇喜多詮家)公が作ったといわれている


近くを流れる津和野川から水を引き入れた水路。色鮮やかな沢山の鯉が悠々と泳いでいる






津和野町役場・津和野公民館


津和野カトリック教会
明治元(1867)年にパリ外国宣教会から派遣されたビリオン神父により建てられた。

鮮やかなステンドグラスが印象的な石造りの教会で、内部は畳敷きとなっている。
  
津和野重要伝統的建造物群保存地区

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