ぢい散歩(山口・萩/松下村塾)   .
萩松陰神社・松下村塾

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松下村塾


東京世田谷・松陰神社説明版から


萩市・松陰神社
 吉田松陰を祀る神社。松陰は文政13(1830)年8月4日生まれ。長州藩士・杉百合之助の次男で山鹿流兵学師範吉田家を継ぐ。私塾「松下村塾」で、明治維新で重要な働きをする多くの若者に思想的影響を与えた。
  ◆ 吉田松陰先生のこと・・・・詳しく

松陰神社
吉田松陰が亡くなって31年後の明治23(1890)年に、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われた。このとき松陰の実家・杉家の人々により松陰の御霊を祀る祠(ほこら)が建立されていた。その後、明治40(1907)年に松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、この祠を神社として松下村塾の南隣りに移して本殿を建立した。
現社殿は昭和30年(1955)に竣功。御祭神は吉田矩方命(松陰先生)。



萩・松陰神社内にある「親思う心にまさる親心。
今日のおとずれ何と聞くらん」の句碑



松下村塾(国史跡)
杉家旧宅(松陰が幽囚の身となり過ごした)


松下村塾の塾舎
右側が元々あった小屋を塾に改修したもの。また、塾生が多くなったため左側に10畳半の部屋を増築した。



玄関には松下村塾の表札

塾 舎

幽囚室
密航を企てた松陰は野山獄に投獄されてから1年2か月後に、藩から自宅謹慎を命じられ、実家の杉家に「幽囚」の身として戻ってきた。
ここで、師匠と弟子が共に学び合う「師弟同行・共学」教育を行い、松陰が30歳で処刑された後にも、その影響を受けた高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文など、維新の志士を多く輩出した。



松陰神社(東京・世田谷区)


松下村塾の塾舎を再現している

再現された塾舎

   2018.8.19
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