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東萩駅
萩・維新ゆかりの街
明治維新から150年。NHK大河ドラマ「西郷どん」(2018年)にも維新にかかわった志士たちがたくさん登場しましたが、ここ長州からも沢山の偉人が輩出しています。その人たちの育った場所を歩きながら(というより電動自転車でしたが)、百五十年前の彼らに思いを馳せながら貴重な時間を過ごすことが出来ました。 |
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口羽家
口羽家
永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士・口羽家の住宅。
表門は長州藩の江戸藩邸の門を拝領して萩に移築したものといわれている。 |
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庭は海につながっている |
堀内鍵曲
道を鍵の手に曲げ、敵が侵入してきても見通しが効かないように造った城下町特有の街路。 |
二宮家住宅
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租式家長屋
祖式家は、主計頭就好が初代萩藩主の側近として仕えていた。
旧祖式家長屋は長さ約10m、奥行約5mの平屋建て。
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春日神社
高杉晋作像
高杉晋作生家
高杉晋作は天保10(1839)年8月、毛利家譜代の藩士、大組高杉家に生まれた。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として奇兵隊など諸隊を創設し、倒幕へと向かっていった。
初代内閣総理大臣の伊藤博文が語った「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」の一文が高杉晋作のすべてを言い表している。
1867年、大政奉還の半年ほど前に肺結核(満27歳)で亡くなった。 |
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高杉晋作(中央)と伊藤博文(右)
従者である三谷国松(左) |
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木戸孝允生家
木戸孝允(桂小五郎)の生家
木戸孝允誕生の間
木戸孝允(桂小五郎)は、天保4(1834)年6月26日に下呉服町の和田家の長男として生まれた。幼名は小五郎、生家は藩医であったが、8歳の時に桂家に養子として出され、桂姓となり、桂小五郎と名乗った。 |
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木戸孝允(前列右2) 伊藤博文(後列右)
萩藩永代家老益田家 |
益田家物見櫓
見張り台を兼ねた武器倉庫である物見矢倉は、萩城への侵入者を見張る役割があった。 |
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周布家長屋門
永代家老益田家の庶流で大組の筆頭格。高杉晋作ら、若い藩士たちのよき理解者として、尊皇攘夷を推進した周布政之助もその一族。 |
菊屋家住宅
豪商・菊屋家は藩の御用商人を務めていた。慶長9(1604)年、毛利輝元の萩入国に従い、現在地に土地を拝領して屋敷を建てた。この建物は江戸初期の建築で400年の歴史がある。現存する商家としては最古の部類に属している。 |
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