◆ オランダ・アムステルダム . |
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ウィーンからの帰り道、オランダ・アムステルダムにて途中下車ができました。
駆け足の"ぢい(爺)散歩"です。
アムステルダムは人口約75万人。 13世紀ごろにアムステル川が北海に流れ込む場所にダムを建設して街を造ったため、アムステルダムという名前となったといわれています。
海運が栄え大航海時代には日本へもやってきました。
日本とオランダの友好関係は、その昔・・・・オランダ船籍のリーフデ号が、1600年(慶長5年)豊後国臼杵(大分県)の海岸に漂着したことから始まります。
1609年(慶長14年)に使節団アブラハム・ファン・デン・ブルックとニコラース・ポイクは、日本最大の権力者・大御所家康に謁見し、駿府城で締結された日蘭外交交渉によって、正式に平戸にオランダ商館の設置が許されました。
これは日本がはじめて行った欧米との「外交交渉」の成果の記念すべき第一歩となったのです。
オランダの首都アムステルダムは、約160本以上の運河と1500以上の橋が独特の景観を生み出している美しい町です。
レンブラントやゴッホ、音楽のコンセルトヘボウ・オーケストラなど芸術溢れるところなので、やっぱり季節の良いときにあらためて来たいところです。 |
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アムステルダム郊外・DeBorcht にある風車 |
風車の前には画家・レンブラントの像
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レンブラント像
17世紀オランダ絵画黄金期における最大の巨匠 |
風車の前にはアムステル川があり
遊覧船乗り場となっている |
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跳ね橋 |
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マヘレの跳ね橋 |
新ヘーレン運河に架かる小さな跳ね橋 |
跳ね橋の中で特に有名な「マヘレの跳ね橋」。
この橋は1670年ごろに建てられ、1772年に複葉式の跳ね橋となりました。現在、アムステル川にかかる橋としては、唯一の木造跳ね橋です。 |
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◆ 運 河 |
オランダは国土全体が海水面より7m〜10mも低い。
アムステルダム市内は無数の運河がはりめぐらされている。 |
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オランダの建物は赤茶色のレンガづくりのものが多く、幅が狭く上に高いのが特徴 |
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ボート・ハウス |
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アンネの家の隣にある西教会。
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H.デ・ケイセル設計による教会で1631年完成。高さ85mの塔からは、アムステルダム市街が一望できる。1966年にはベアトリクス王女とC.フォン・アムスベルクの結婚式が行われた。
また、オランダの誇る天才画家のレンブラントが埋葬されている教会。 |
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レンブラント・ハウス
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レンブラント作 「夜警」 |
レンブラント・ハウス(1606年建築)。レンブラントが33歳のときに購入して
自宅兼アトリエとして破産するまで、20年間暮らした。 |
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ナチスの迫害から身を隠していたアンネフランクの家
左側には『263』の番号が付いている
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(中央駅,王宮,,木靴工房,コンサートホール)→ |
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