ドイツ歴史街道ロマンチック街道   .
当方見聞録
ドイツ歴史街道

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ロマンチック街道


ロマンティック街道は全長350kmの街道で、マイン川流域のフランケン地方の古都ビュルッツブルグから、ミュンヘンの西にあるアルプスの麓・フュッセンまでの街道です。ロマンティックという言葉の語源どおり、もともとローマ人によって作られた道で、現在の街道の南の部分にあたる、"VIA Claudia Augusta"がその始まりといわれています。南のバイエルン地方の山地でとれた岩塩や、泥炭の輸送のために作られ、やがて中世初期には商業道路として利用されました。その後北に道が延伸し、マイン川付近にあった街道とつながりました。マイン川はフランクフルト方面へと向かう重要な河川です。

ビュルツブルグからドナウベルトの間のロマンティック街道はとくに「皇帝道路」(カイザーシュトラッセ)と呼ばれています。この道路は中部ヨーロッパの2大河川マイン川とドナウ川を結んでおり、当時ウィーンにあったハプスブルク家は即位のときにウィーンからドナウ川をさかのぼり、さらに、ロマンティック街道を北上して皇帝の戴冠式が行われるフランクフルトにやってきたのです。

この道は大都市ウィーンとフランクフルトを結んでいたのでローテンブルクをはじめ街道沿いの町は大いに栄えました。近代に入りあまりに中世の面影がよく保存されているため、近代化が遅れ、アウトバーンも迂回することになってしまったが、そこに目を付けたドイツ観光局がロマンティック街道という新しい名所として売り出したのが真相のようです。

Heidelbergハイデルベルグ

ドイツ最古の大学都市「ハイデルベルグ」は、人口14万人、そのうち学生は3万人いると言われています。古城街道最大の町でもあり、町の中心にはネッカー川が流れています。京都大学を抱えた古都・京都にも似た知的雰囲気にあふれた町です。
ハイデルベルグ城は町の東の丘に建てられており、赤色砂岩でできています。この城は11世紀に建築が始まり、14〜16世紀にかけて「プファルツ選帝侯」と呼ばれた領主たちによって増改築が繰り返されたため、ゴシックやバロック、ルネサンスなど各時代の建築様式が混在しているのが特徴的です。
そして、1689年のオルレアン紛争により、フランス軍の攻撃を受け破壊されてしまいましたが、1742年に、公爵カールテオドールによって 改修されました。しかし、2度の落雷により1764年以来、城はそのままになってしまっています。
ハイデルベルグ大学は1386年にルプレヒトI世により設立されて以来、現在では多くの学部が街全体に点在しています。作曲家シューマンもこの大学で学んでいます。


ハイデルベルグの町並み
ハイデルベルグ城
城から眺める
ハイデルベルグの町並み


ハイデルベルグ城
フリードリッヒ館


対岸の哲学者の道から
ハイデルベルグ城を望む


ネッカー川と
ハイデルベルグ城


ハイデルベルグ城/フリードリッヒ館
ルネサンス様式とバロック様式が混在した
フリードリヒ館の正面には
歴代の王の彫像が並んでいます。

オットー・ハインリヒ館(博物館)
ルネサンス様式のオットーハインリヒ館は
ドイツ薬事博物館となり
16世紀から19世紀の薬品が展示されている


哲学者の道
ハイデルベルク城をケーブルカーで下りて、旧市街を抜けて歩いていくと市内で最古のカール・テオドール橋にでます。その橋を渡り、少し行ったところに哲学者の道の入り口「シュランゲン小道」があります。 
案内図も見当たらず心配になりましたが、細く、薄暗い急坂をかなり登っていくと平坦な道に出ます。ここがその昔ゲーテやヘーゲルなど、多くの哲学者や詩人達が歩き、思索にふけった散歩道「哲学者の道」です。しかし、汗が止まらない。汗を拭き拭きその道を歩くと、立派な邸宅がところどころにあり静かな雰囲気が漂います。歩く人も少なく静かです。結構高くまで登ってきているので、ここから見るハイデルベルクの町並みは、「そうだ!絵葉書はここからの写真だ」と気づきます。緑の多い小道にはベンチがあり、そこに座って、夫婦でフーフー言いながら休みます。長い距離を歩いてきて疲れたけれど、この風景をみて疲れも吹き飛んでしまいました。
なお、哲学者の道を歩く場合は、逆回り、すなわち、テオドール・ボイス橋側からカール・テオドール橋のシュランゲン小道を下るほうが楽だそうです。あぁ、損した。

カール・テオドール橋とハイデルベルグ城(絵葉書)

哲学者の道からのK・テオドール橋とハイデルベルグ城(絵葉書)



Rothenburgローテンブルグ

今でも中世の雰囲気を残した「ローテンブルグ」は、人口1万2千人の小さな街。ロマンチック街道と古城街道のちょうど分岐点にあるこの街に訪れる観光客は年間12万人。高い城壁に囲まれた町の中はまるで中世にタイムスリップしたような感じです。


ローテンブルグ市庁舎があるマルクト広場(マーケット広場) 絵葉書


町の中心は、ローテンブルグ市庁舎があるマルクト広場です。
その市長舎の脇には議員宴会場の仕掛け時計(マイスタートルンク)があります。
時計の両脇の窓があり、時間になると窓が開きこの街を救った市長の人形が出てきて動き出します。これは、この街の市長がワインの一気のみができたら街を救えるという賭けに出てこの街を救ったという逸話を表現したそうです。時間になると皆広場でこの時計を見上げますが、人形がグラスをもって口に近づけるだけの動作が続くだけの時計ですが、歴史を感じさせます。 




仕掛け時計で有名な議員宴会場

↑ マルクト広場 ↓


←  市庁舎の塔からのマルクト広場

ローテンブルグは城壁に囲まれた町です。一周約2時間で回れてしまいます。
その城壁には、渡り廊下のような通路が繋がっています。


町を囲む城壁内の通路

城壁から見た聖ヤコブ教会(高い塔)



マルクト広場

時間がくると人が集まる



城壁に囲まれた旧市内


Schneball」(シュニーバル)

ローテンブルグの名物のお菓子と言えば「Schneball」(シュニーバル)」。英語では「スノーボール」。手のひらに乗るくらいの大きさで、その種類はバラエティーに富んでおり、「雪」のようなパウダーシュガーのかかったものから、チョコレートがかかったもの、シナモンの味など様々な種類があります

私は、自由時間は妻と別れ、ローテンブルグの町なかにある中華屋さんであやしげな湯麺を一人食べていました。あとで馬鹿にされましたが・・・。

(C)makiko2003



Dunkelsbuhlディンケルスビュール
ローテンブルクから約40km離れたところにディンケルスビュールという水壕と城壁に囲まれた中世の小都市があります。ここは、第二次世界大戦のときスエーデンの攻撃を受けたときに、ある少女が泣きながら訴えたため戦災を免れたという逸話が残されています。このため中世の面影をそのままに残しています。そして、7月中旬に催される子供の祭りキンダーツェヒェはその逸話を由来としています。また、15世紀のホール型教会として名高い聖ゲオルク教会を中心に、1440年創立のドイチェス・ハウス(ホテル)等、木組みの家々の町並みが美しいところです。教会ではオルガンが鳴り響きどなたかの追悼ミサが開かれておりました。 聖ゲオルグ教会。
聖ゲオルク教会
ドイチェスハウス。
1440年創立のドイチェス・ハウス(ホテル)


右から3番目がドイチェス・ハウス

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