ドイツ歴史街道 ★ OtashaABroad

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ドイツ歴史街道
(C) Tadano Mohroku 只野猛六


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私たちの旅は、全日空209便がドイツ・フランクフルト空港への到着(16:35着)から始まった。
早速、飛行場を後にバスで最初の宿泊地ライン川下りの乗船地・リューデスハイムへと、向かった。

ライン川クルーズの出発地
Rudesheim
リューデスハイム

イン川クルーズの乗船場がある小さな町「リューデスハイム」はラインの真珠ともうたわれている町です。中でもこの町を有名にしたのはかわいらしい街並みのドロッセルガッセ(つぐみ横丁)です。道幅は5m程度の歩いても30分ほどでまわりきってしまいます。横丁から表通りにでると、ライン川が流れ、川沿いには現在は ワイン博物館 にもなっているブレムザー城の西方にリューデスハイムの小さな駅があります。また、リューデスハイムの小高い丘にはブドウ畑がたくさんあり、この地元で作られた白ワインは絶品です

丘一面に広がるブドウ畑



Rudesheim

ドロッセルガッセ(つぐみ横丁)
ホテルはこのドロッセル・ガッセに面しておりその喧騒が部屋にも届きます。早速チェックインをすませ、ドロッセルガッセへ繰り出しました。この横丁は、音楽が満ち溢れ、ビアホールやレストランではドイツ民謡を中心とした音楽が流れ、その生バンドに合わせ老若男女のカップルがダンスをしています。そして、我々もその中の一軒のレストランに入り軽い食事をとることにしました。
ドイツのはずれ町から来ている団体さんが私達を日本人とみるや、ちょっかいを出してきます。が、言葉不明瞭、意味不明?でも一緒になって大騒ぎ・・・。現地夜10時(時差7時間)といっても日本時間では明け方の5時位というのに元気なものです。お陰で、時差ぼけも一発で解消しました。


Rhein
ライン川クルーズ
♪♪・・・なじかは知らねど 心わびて・・・・
          おなじみハイネのローレライの歌です

ライン川はスイス・アルプスのトーマゼーという湖を源に、ドイツとフランスの国境を北に向かいます。ストラスブールを越えカールスルーエの少し南からドイツ国内を流れ、ボン、ケルン、デュッセルドルフなどを通り、オランダ・ロッテルダムから北海へ注いでいる全長1320kmに及ぶ大河です。そのうちドイツを流れるのは698km、ドイツの人たちはドナウ川を「母なる川」と呼び、ライン川を「父なる川」と呼んでいます。ドイツ人の心の拠り所であるこの川には「ローレライの乙女」やワグナーの楽劇のもとになった「ニーベルングの伝説」など多くの伝説が残されています
リューデスハイムからコブレンツにかけての両岸には数々の古城が点在しています。特に、古城の見所がもっとも集中しているのは、リューデスハイムとザンクト・ゴアールの間のおよそ30km(所要2時間)です.遊覧船から見るその風景〜ライン川の丘の上の城、それに斜面を埋め尽くすブドウ畑が織り成す谷間の風景はまるで絵葉書のようでした。



リューデスハイムからザンクト・ゴアールへ

風は少々冷たいが天気は良好。いよいよラインの川下りです。
出発点のリューデスハイムの船着き場にはいろいろな観光船が泊まっています。この季節(10月)は、水量が少なく大型船の運航ができず、中型船による川下りです。乗船すると、2階が有料のカフェテリアとなっているので早速飲み物をオーダーし、いよいよ出発です。観光案内は日本語です。



リューデスハイムからライン川を臨む(絵葉書)


リュ−デスハイムからザンクト・ゴアールまでのライン川沿いの主な城は
進行方向
 右側に、エ−レンフェレス城、プファルツ城、グ−テンフエルス城、ねこ城、ネズミ城
 左側に、ねずみ塔、ラインシュタイン城、ライヒェンシュタイン城、ゾ−ネック城、スタ−レック城、
      シェ−ンブルク城、ラインフエルス城などがあります。

リューデスハイムを出航するとまもなく、中州に13世紀に通行税をとるための関所だった「ネズミの塔」が現れます。この名の由来は重税で農民や通行人を苦しめたマインツの大司教が、ここでネズミに食い殺されたという伝説からきています。
ネズミの塔を通過するとまもなく左手にそそり立つ岸壁の上に900年頃に建てられた
ラインシュタイン城が見えてきます。この城も税関として建てられたもの。
隣り合わせに建つのは
ライヒェンシュタイン城です。現在はホテルだそうですが、昔は川を渡る舟をターゲットとした盗賊団の根城だった。その後13世紀にライン都市同盟により破壊されるが、その盗賊団退治の基地として使われたのがラインシュタイン城だった。

ラインシュタイン城

ライヒェンシュタイン城



 その隣りに
ゾーネック城が見えてくる。11世紀に建てられたこの城も盗賊のすみかとなった為、13世紀に2回破壊されている。
このライン川は中世の800年間を通じて、ヨーロッパの南北を結びつける重要な交易路だった。川の通行税という利権を狙って、近隣の諸侯はこぞってライン流域に進出し、数々の城を建てている。

クルーズ船は途中、ライン川沿いのいくつかの町を経由して進む。最初は、中世建築の残る町バッハラッハへ寄る。このバッハラッハは千年以上の歴史をもつ町で、木材やワインの販売そしてライン川を通る舟からの通行税によって、財政豊かな町であった。町の左上に見えるのはホーエンシュタウフェン王家の居城だった
シュタールエック城で、12世紀に建てられ、30年戦争の時に破壊されたが、修復されその後17世紀にフランス軍に破壊され廃墟となってしまう。現在は修復され、ユースホステルとして利用されている。

ゾーネック城

シュタールエック城

フルステンブルク城


しばらく進むと中州に白い建物が見えてくる。
この白い建物は「プファルツ」砦と呼ばれ、ここを行き来する船から通行税を取っていた。14世紀に築かれた頃は、真ん中の五角形の塔しかなかったが、後に舟のような形の外側部分が補強された。
プファルツ城の右岸には10世紀からの古い町、カウプがある。そのライン川に面して立てられている立像は、ブリュッヒャー元帥で、元帥は、この場所で対岸へ橋を渡し約10万もの兵隊がその橋を渡り、ナポレオン軍を追跡したといわれています。それを記念してここにその像が建てられています。

プファルツ城

その対岸にある町オーバーヴェーゼルには優美なシェーンブルク城があります。

ここから川幅は狭くなり、前方右手に有名なローレライの岩山が現れます。事故が絶えなかったというこの難所を過ぎると次の船着き場、ザンクトゴアールの丘の上にラインフェルス城、また右岸にカッツ(猫)城、マウス(ねずみ)城と古城が続きます。



←シェーンブルク城はローレライ伝説の舞台となる城


Loreleyローレライ

しばらく進むと、スピーカーから「ローレライ」の曲が流れます。日本語で・・・・。進行方向右側に水面から高さ130mという巨岩が川に突き出している。ここで川幅113mと、ライン川で最も狭まり深さも25mほどで、川床には岩礁がたくさんあります。舟人にとってここは最大の難所であり、そのために伝説が生まれた。「この岩の上には金髪の水の精たちが住み、船が通ると甘美な歌声を響かせる。船乗りたちはその美しい姿と、歌声に魅せられ、うっかり舵を取り損ねて命を落としてしまう」。すなわち、ローレライとは妖精の岩という意味なのです。しかし、この岩の名が世界中に知れ渡ったのは、ハイネの詩とジルヒャー作曲による「ローレライ」の歌による。ラインを行き交う船の船乗りを 妖精が惑わした伝説の岩ですが、がっかりさせられます。
  
ライン川最大の難所・ローレライの岩山              ザンクト・ゴアールへ到着


 ハイデルベルグ・ローテンブルグ へ           

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