音楽のある街 ウィーン・プラハ(ウィーン楽友協会)  .
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ムジーク・フェライン(楽友協会大ホール)

ムジーク・フェライン正面
ムジーク・フェラインは正月のウィーンフィルによるニューイヤーコンサートの会場として有名です。
大ホールは、黄金のホールと呼ばれています。
かつて、このホールにおいてカール・ベームやカラヤン、カルロス・クライバーなど巨匠たちが振った現場だと思うと身震いします。が、ステージなどは相当傷んでおり、テレビで見るニューイヤーコンサートとは印象が違いました。会場の座席の背もたれが板張りの椅子で、両サイドに通路がなく少々狭い感じがします。
また、両袖のバルコニー席の椅子は移動可能なもので、通常のコンサートでは聴衆が勝手に見やすい位置に椅子を動かし聴いておりました。
ところで、東京のホールは新しくてよい響きのホールがたくさんありますが、このホールにはどう逆立ちしてもかなわない歴史の重さを感じてしまいます。
なお、ここを本拠地としているウィーンフィルのチケットは、会員制のためほとんど手に入りません。そこで、同じくムジーク・フェラインに本拠をおくウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団(指揮ブルーノ・ワイル)の演奏を聞くことにしました。




ホール後方からステージを

【演奏曲目】
 ・
ARVO PART
   Collage uber B-A-C-H
 ・MAX REGER
   Arie fur Streichorchester
  "O Mensch bewein Dein' Sunde gros"
    nach dem Choralvorspiel BWV 622 von
   J.S.Bach

 ・FELIX MENDELSSOHN BARTHOLDY
      Symphonie Nr.5
宗教改革
 ・
PAUL HINDEMITH
    Symphonie "Mathis der Maler"
(画家マティアス)
  
 Bruno Weil  | conductor
Bruno Weil
指揮者B・ワイルは、オペラからバロックまで幅広いレパートリーを持っています。そして彼が発表するディスクは複数の賞を獲得しています。
1988年に、彼はザルツブルグ音楽祭でヘルベルト・フォン・カラヤンの代理としてウィーンフィルとモーツァルトのドンジョバンニを指揮して国際的な指揮者として評価されました。
1994年に、ワイルはデュイスブルグ(ドイツ)市管の音楽監督になり、現在、トロントに拠点を置く古楽器室内楽団Tafelmusikの首席客演指揮者です。その他に彼は世界の主要なオーケストラ、ベルリンフィル、ボストン響、モントリオール響、ロサンゼルス饗、NHK交響楽団などへ客演しています。

また、ザルツブルグ音楽祭での成功から、ワイルはオペラの世界で活発に活動しており、ベルリンドイツオペラ、ハンブルグ州立オペラ、ドレスデン歌劇場、 ボローニャ歌劇場で指揮しています。そして、 彼は、現在カーメルバッハ・フェスティバルの音楽監督とIrsee(バイエルン)のフェスティバル「クランundラウム」の芸術監督をしています。
【sonyclassical.comのB.Weil紹介を意訳】

指揮はブルーノ・ワイル

両袖にあるバルコニー席

バルコニー席を飾る黄金の女神像




 ホールの天井






ホール後方。すごいなぁ・・・と感嘆。
ウィーン・ト−ンキュンストラー管弦楽団は、数度来日していますが、日本では少々なじみが薄いオーケストラですね。また、紹介記事も少ないようです(下記HP訳を参照)
しかし、ウィーンのオーケストラだけあってふくよかな弦楽器群と上手な管楽器が相まってすばらしい演奏でした。
はじめの2曲はバッハの曲をモチーフにしたもので、聴いてみると大変親しみやすい曲でした。もっとも、2曲目に演奏されたマックス・レーガー作曲の「BMV622」は、初めて聴く人ばかりだったのか、演奏が終わっても誰も拍手せず、指揮者のワイルさんは、すぐにメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」の演奏へ入ってしまいました。

ところで、「宗教改革」の最終楽章で事件は起こりました。
後ろの席の某国人が、最終楽章のフィナーレへと演奏が向かうときに、突然、足でリズムをとりはじめ、椅子をガタガタさせたのです。
傍若無人のこの振る舞いに、私は後ろのオヤジを睨みつけたのですが、某国人の顔の方が迫力あってビビッてしまいそうでした。
翌日ホテルの朝食をこの演奏会へ同行した音楽大生たちととったのですが、後ろ向かいにあの傍若無人な某国人の集団がいたのです。ビックリしたなぁ、もう。

 
 ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団(Tonkunstler-Orchester)
トーンキュンストラー・ソサイエティはウィーンで最も早く組織された音楽協会です。そして、モーツァルトとハイドンの時代にすでにコンサートが行われました。
また、20世紀の初頭にこの音楽協会はト−ンキュンストラー管弦楽団として発足し、その後、その最初のコンサートは、O・ネドバル、ハンス・ピッツナーとベルンハルト・スティーブンハーゲンの下でムジーク・フェラインにて1907年10月10日に行われました。ゴールドマーク、グリーグ、リストとベートーベンの作品が演奏されました。その時の演奏曲目は2007年8月に行われる100周年記念演奏会で再演されます。
一方、ト−ンキュンストラー管弦楽団は1913年にF・シュレーカー指揮の下でアーノルド・シェーンベルグの「Gurrelieder」の初演を行っています。
第一次世界大戦の間、Tonkunstlerとウィーナーコンサート組合は資金不足により合併を強制され、彼らはウィーナーシンフォニカー(現在のウィーン交響楽団)になりました。
しかし、Tonkunstler Orchesterの組合員は、1933までコンサートを組織し続けました。
戦後1946年にト−ンキュンストラー管弦楽団として再発足し、これまで首席指揮者としてクルト・ウェス(〜1951)、G・コスリク(〜1964)、H・ワルベルク(〜1975)、W・ウェラー(〜1978)、M・カリディス(〜1988)、I・カラブチェフスキー(〜1994)、ファービオ・ルイジ(〜2000)とカルロス・カルマー(〜2003)、エストニア出身のクリスティアン・ヤルヴィ(2003〜2009)、A・オロスコ=エストラーダ(2009〜2015)が努めています。また、2015年から佐渡裕が首席指揮者に就任しています。

また、ミハイル・ユロフスキーは、首席客演指揮者に名を連らねています。
Tonkunstler Orchestraの中で、著名な客演指揮者は、クレメンズ・クラウス、パウル・ヒンデミット、アービッドとマリス・ヤンソンス親子、ズビン・メータ、クリストフ・フォン・ドホナーニ、HKグルーバーとジェフリー・テートです。
協演した著名なソリストには、アルテュール・グリュミオー、L・コーガン、ヴォルフガング・シュナイダーハン、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、アルフレート・ブレンデル、ルドルフ・ブッフビンダー、グリゴリー・ソコロフ、エディタ・グルベローヴァ、アグネス・バルツァとクリスタ・ルートヴィヒなどがいます。
このオーケストラのプログラムの柱は、ハイドン、モーツァルトとベートーベン、シューベルト、ブラームス、ブルックナー、マーラーまでと現代音楽まで幅広く演奏しています。また、若者向けの音楽教育にも力を入れており、学生たちにさまざまな場所を提供しています。
演奏会は、ウィーンでは有名なムジーク・フェラインにて月3回の定期演奏会が開催され、その他にも二つのチクルスが用意されています。
また、2007年夏にはシュロッスGrafeneggで、また、.ニーダーエステライヒの地方のオーケストラとしてのその文化的な任務の一部として、Tonkunstlerもバーデンとウィーナー・ニュースタットの都市で、定期的なコンサートを行います。
もう一つのスペシャルイベントはVienna’s Musikvereinと、ニーダーエステライヒの地方の多数の町でのニュー・イヤー・コンサートの連続演奏会の開催です。


【Tonkunstler OrchesterのHPを意訳】
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